マテウスの苦悩と復活

ドイツのリベロとして活躍し、ドイツが90年Wカップ優勝した時のキャプテンであったマテウスは、ここ数年、靭帯断裂、2度のアキレス腱の大手術、離婚協議、そして代表チ−ムからは見放される、と言う苦しい思いをしてきた。しかしマテウスはどんなときも絶対にあきらめなかった。いつもコンディションを整え、復活を信じていたのだ。

それでも94年のW杯のつらさは、やはりマテウスにとってもとてつもないものだった。「あの時はチ−ムがばらばらで個人が勝手なことをしていた。90年W杯であれほど調和が取れていたドイツチ−ムがね。“いつかフォア・ザ・チ−ムに目覚めるだろう”と信じていたのだが、みんな私の考え方を共有しようとはしなかったよ。」と振り返る。

そして3年半の代表からの離脱。もっと早くフォクツ監督と対話を持っていればこんなことにはならなかっただろう。これは96年にバイエルンを率いたレ−ハ−ゲル監督との関係にも当てはまる。マテウスはこう言う。「20年間の現役生活で、私はバカンスらしいバカンスを過ごしたことはない。それに不満を覚えたことはないし、興味もないね。プロフットボ−ラ−は“だからこそ”大金を稼いでいるのであって、休暇が取れないことを嘆いたりしてはいけないんだ。」このようにサッカーを愛し、人生を懸け、真剣に取り組んでいるからこそ起こったすれ違いだった。

そして98年W杯については、マテウスは何とかリ−ダ−シップを発揮しようと試みた。しかしそこには運悪く、もう一人のキャプテン、クリンスマンがいた。 クリンスマンとは犬猿の仲で、そこでも力を発揮する事ができなかった。

しかし、98‐99シーズンのバイエルンでは年齢を感じさせない大活躍をし、見事MVPを獲得した。そして代表チームでも143回もキャプテンを務め、世界最多タイのキャップ数となった。

参考:www.jvc-victor.co.jp/soccer/wsg/9908/interview.html