東京外国語大学欧米第一課程ドイツ語専攻
「コンピューターとドイツ語学習研究」(ヨーロッパ言語研究Ⅰ演習)
担当: 境 一三
境一三 (2000): 「CALL研究(1)―コンピューターを用いた外国語教育の史的位置付け― 」,『慶應義塾大学日吉紀要ドイツ語学・文学』を読んで疑問に思ったこと,議論のテーマとしたいものを皆さんに書いてもらいました。ここに掲示します。さまざまな疑問やコメントを出してくれたことに感謝します。
皆さんの疑問点については,授業で答えを試みました。
以下の質問や論点は自分の責任で参考にしてください。
先生が書かれたcallの論文を読ませていただきましたが少し僕にとっては難しかったです。
質問
最近E-learningが注目を浴びていますが、先生がこのソフト(又はオンライン上でも)結構良く出来ていると言うものはありますか?(ドイツ語でも英語でも日本語でも)
call教材は今はパソコンを使ったものが主らしいですけれども、これからは携帯や別の通信媒体も使うことが出来る気がします、今そう言う研究をしているところで最先端を行っている所(会社、大学、又は国)はどこですか?
最後に慶応の学生にRPGをやらせて、アンケートを取るという実験をしたと書いてありましたが、今、そう言う研究をしている人はいるんでしょうか?
僕も、今英語でプレステのRPGをやっているのですけれども(いい年をして恥ずかしながらですが)、生徒の興味を引くには持って来いだと思います、それに最近は良く出来たものもあるので大人がやっても面白いのでは?
今回の宿題であった、先生の論文を読んで聞きたいこと、話したいことを書く、ということのうち、僕は特に3種類のCallについて思ったことを書いていこうと思います。
第一世代 行動主義的Callを読んで
この時代のコンピューターの使用法というのは、単なる「紙媒体の代替物」であったにすぎないと思う。drill and practice教材というものはコンピューターのない時代からあったものだと思うし、ただコンピューターでもできるから、というだけでコンピューターで作ってみただけに過ぎない。いくら使うものが紙からコンピューターに変わって、学習者の興味が少し湧いたとしても、それは1時的なものであって、そんなに長続きするとは思えない。なれないコンピューターを使うくらいなら、きっと本を読むほうが楽だと思う。
第二世代 コミュニカティヴCallを読んで
この時代になって、条件の1つに「紙媒体でもできることは決しておこなわない」ということがでてきた。つまり、第一世代の教訓が生かされているわけである。また、コンピューターの特性がよく生かされている教授法が確立されてきた、とも思う。紙媒体であれば作成に何日もかかるような問題をすぐにできてしまうということはとても大きな進歩だと思う。また、これは学習者層が、知識人だけでなく、実際に話すためにその言葉を学ぶという人が多くなってきたからなのかもしれない。そのため、「文法にあまり重点を置かない」ということもコミュニカティヴCallの条件の1つとして挙げられている。
第三世代 統合的Callを読んで
この時代で重要なことは、インターネット、音声が再生できることであろう。学習者はたとえネィティブスピーカーがいなくても、インターネットを使ってその国の言葉の新聞を読んだり、ラジオ放送をインターネットを通して聞くことができるようになった。また、学習方法についてもさまざまな方法が見出され、趣向をかえたさまざまなものができてきた。
しかし、ここで問題が出てくると思う。それは、今の時代の教授法は「開かれすぎている」ということと、はたして何割の教授がコンピューターを教材として(ホームページを開設するなどして)利用できるのであるか、ということである。1つ目の問題について僕が思うことは、例えばサーチエンジンで「英語勉強」と入れたとすると、すさまじい量の検索結果が出て、いったいどれをやればいいのかわからない、といったようなことである。それはまるで、大きな本屋に行っていろいろな問題集を前にしてどれから手をつければいいのかわからない、ということに近いと思う。
また2つ目の問題については、ホ-ムページを作るときには必ずHTML言語を知らなくてはいけないのだが、今の教授の中にそれだけのやる気がある人がいったいどれくらいいるのだろう、ということを思ってしまう。きっとそれを学ぶ時間があるのなら、他のことをやってしまうのであろう。または、本をコピーしたほうが早い、と思ってしまうかもしれない。きっとこれから時代が進んで、もっとパソコンに慣れ親しんだ世代が教授になるとまた変わってくると思うが、今はまだ一部の意欲のある、今の時代の生徒のことをよくわかっている教授がやっているだけだと思う。僕はそれをとても残念に感じてしまう。
・話し合いたいポイント
Warshauerの述べるように、コンピューターの特性を利用して機械的な反復練習を各自で行い、そしてそれによって省かれた授業時間を他の活動に振り向けるといった学習形態は実に理想的なものであるといえる。しかしながら、個人学習の時間の確保、管理については教師の手の回らない範囲になってしまうのではないか。つまり、実際に学習者が各自で訓練を行ったか否かをどのような形で判断できるのだろうか。
結局は個人の反復訓練の時間を授業の枠として設けないことには、その分野が野放しの状態になってしまうのではないか。
また、もし各自がコンピューターによる反復訓練を学校でなく家庭で行うとすれば、もちろん一家に一台のコンピューターが必要となるのだが、現在ではいまだ実現されていないため不可能である。
コミュニカティブCALLの条件として、Underwoodが七つの条件を挙げたが、そのうちの「学習者の判定や評価をせず、賞賛のメッセージや光や音を出さない」という条件はどういった理由からであろうか。実際、学習者同士に目標言語で電子メールの交換を行わせた朝尾幸次郎氏の報告によると、「特に正確さを求めず教員が添削を行わなくても、学習者はお互いの文章を模倣しながら作文能力を向上させる」というが、それを基底としているものであろうか。
質問:RPGの要素を持った教材を扱って調査を行ったとありますが、それは具体的にどのような学習法を含んだソフトなのでしょうか?
CALL研究の論文を読んで、聞きたい/話し合いたい点・P101の12行目で「英語のスペリング練習」とあるが、具体的にどのようなものか。スペリング練習というと生徒にスペルアウトさせるのかと考えたが、それは手書きではなくタイプでなのか。(実際に手で書くことで脳に刺激を与え記憶しやすいとの主張もある中、少し気になった)
・第3世代のCALLにおいて、学習者が自分の発話を録音し手本と聞き比べるという例があったが(P110)、その前に学習者は違いを聞き分ける耳を養うことと、それを自分で直す方法を指導される必要があると思う。その点に関しては何か方法があるのか。
全体として、実際に言語を使う場では相手に対して反応する、または自分の言語行為に対して反応が返ってくるが、コンピュータではその反応がまだ欠如しているように感じられる。それはCAの教授法とやや矛盾する気もするのだが、CAの中で実際どのようにCALLが取り入れられているのか。
1. P107「道具としてのコンピューター」モデルは、重点がディスカッション、ライティング等に置かれるとのことだが、例えばどんな形でコンピューターから「刺激」が与えられるのか?
自分なりに考えてみたんですけど、例えばライティングであれば、作文のテーマをコンピューター側にインプットしておいて、それがランダムで学習者に提示される形で刺激が与えられると思います。・・・となると、ディスカッションの場合、同様にディスカッションテーマが提示されるんでしょうか?
それでは、少々芸が無いような気がするんすが、実際どのような形で学習者への問いかけが行われるんでしょうか?
「コンピューターを使ってディスカッションをする」という事を聞くと、まず真っ先に思いつくのが、「ネットを使った、その母語話者との会話、チャット」という事なんですけど、(別に母語話者とではなくても、何らかの形でチャットが行われれば、それは有用な学習方法だと言える、と思います)ここでは、第二世代のコミュニカティヴCALLについて書かれているので、まだネットワークは導入されていない頃の話のはずですよね。
2. P108「学習者が自分独自の道筋をたどって学習できる」というのは、どういうことか?
後述されていますが、例えばドイツの電車の料金設定や、時刻表を調べたりする、といった作業で、学習者がWEB上で、様々なリンク、検索サイトを用いて、様々な形で目標のインフォメーションに辿り着く、といったことを指して言っているのでしょうか?
3. 第三世代のCALLに於いて、RPGベースで教材を作るとしたら、どんな要素をどのように使ってソフトを構成し得るか。
この話には、非常に興味があります。というのも、僕もRPGに触れて育った世代だからです。興味・感心の高いRPGを使った、ゲーム感覚のソフトであれば、学習者の食いつき方も当然違ってくると思います。
ただ、学習用ソフトだからといって、ゲームバランスやビジュアル、システムをおざなりにしてしまえば、学習者も食いついてこないでしょう。実際、ファミコン時代から算数学習ソフト等が発売されていますが、それらが高い成果をあげた、という話は聞きません。(まあ、ファミコンというハードからして、学習用ソフトを買う人自体が少なかった、とも言えますが。)
実際にそれなりに有用なソフトを作るとしたら、ゲーム会社と提携するのが効果的だと思います。教師陣には、ゲームを作るノウハウが無いのだから、作ろうとすればある程度のレベルを超えられないのは当たり前。だったら、ノウハウのある人たちと協力すればいいと思います。実際のところ、どうなんでしょうか??
ゲーム・サイドの話は、授業で触れてもあまり意味が無いので、教材として、どのような要素(文法、ディクテーション、発音、作文、usw...)を、どのような形で盛り込めるか、という事を考えてみると面白いと思います。敵とはどのように戦うか、とか、主人公キャラクターの能力値と、問題の難易度の関連とか。実際に、慶應で使われたソフトがどのような物だったのかも気になります。
・今まで自分が教育を受けた機関で、LL教室が有効に活用されていると感じたものはなく、多くの友人達の意見も同様です。LL教室が有効に活用されている国、または、日本の学校はあるのでしょうか。
・5.2.でのコミュニカティブCALLの条件として、学習者の判定や評価をせず、賞賛のメッセージや光や音を出さないとあるが、誉めてはいけないということのでしょうか。だとしたら、これが良い方法だとは思えません。
・コンピューターが学校で導入されるにつれてだんだん希薄になっていくであろう教師と生徒、または生徒同士の直接のコミュニケーションについてはどのような対応策が考えられているのでしょうか。
手紙などの場合、手書きだからこそ心のこもったものになると思います。とくに日本語の文字は人によって様々で、とても美しいです。近い将来、手で字を書く勉強は、まったくなくなってしまうのでしょうか。
CALLについてききたいこと
論文P97 4-1章の、『コンピュ―タ化という視点から見れば、オーディオリンガル法は早すぎるメソッドだったのではないだろうか』ということがいまいちよくわかりません。
P103の、コミュニカティブCALLの条件の、四項、賞賛のメッセージを出さない、という点で、それに代わる反応はあるのか。
疑問点
1.P101 「新しい表現を定着させる」とあるが、pattern practiceで定着させた後に、その応用としての表現なのか、それとも次へ進むということなのか。
2.P103 5) 学習者に「誤答」と伝えることは避け、とあるが、誤答を注意しなくても、いつかは正しくなるという保証はあるのか。
3.P112 コンピュータの利点として、自発的にいつでもどこでも勉強できると、読み取れたが、仮に学校の外国語教育にこの方法を導入したら、勉強をする人としない人とで極端に分かれてしまうのではないか。
CALLに関する疑問
1)P87-8で、CALLの教材データの共有が進まないのと関連して「この分野に新しく参入する広い意味での同僚が、自分の行っていることの歴史的位置付けができないがために、不毛な再生産が行われているように見えてならない。」とありました。しかし、個人的には歴史的に位置付けることと教材データの共有化相互利用とは別の問題であって直接関係がないと思いました。
2)P99L8「自由解答形式の欠如」の「自由解答形式」とは具体的には何を指すのですか?
3)P101L1「チュートリアル型教材」とは、具体的にはどういう教材のことを指すのですか?文法や語彙を自習するような教材のことですか?
4)P102-3、Underwoodによる、「コミュニカティブCALLの条件」で、「学習者の判定や評価をしない」、「誤答と伝えることはしない」とありました。しかし、これでは、学習者の誤りを訂正する機会が与えられず、学習者の進歩のきっかけがなくなってしまうのではないでしょうか。
また、学習者が自分の判定や評価によって自分の位置付けを知ることは学習を進めていく上で重要な事ではないでしょうか。ショックを受けることもありますが、動機付けにもなるし、今後の学習計画を立てる上でも参考になるからです。
5)統合的CALL(「学習の全体を覆うコースウエア」P108,L14)にまで、進んだとき、教師に残された役割は何があるのでしょうか?教材を作って(場合によってはこれも不要)、学習者に与えてしまえば、学習者の学習はほとんど、CALLの中で完結してしまうようにさえ感じられるのですが。
(タスクベースの教材では、まだその役割は残っているでしょうが。)
課題: 先生の論文を読んで3つの質問
1.今現在、どれくらいの人がコンピューターを用いた外国語学習を行っているのか。そのような環境を整えている学校は、例えば日本や欧米ではどれくらいの割合なのか。
2.1の質問に関して、パソコンやインターネットが普及するとともに地域等による情報格差が問題となっているが、教育の現場ではそれをどのように捉えるのか。
3.第2世代のCALLではコミュニカティブ・アプローチが背景となっているが、技術的な問題により、音声や画像が伴っていない。そのような条件で、学習者の外国語でのコミュニケーション能力の向上にどれほどの学習成果や達成度があったのか。
私がCALL研究(1)を読んで疑問に思う点は以下の通りです。
1.LL教室の定義とは何なのでしょうか?(私の場合)外国語が関係なかった小学校にもビデオやカセットテープを使えるLL教室があったのですが、外国語に限らず学習全般のためなのでしょうか?
2.103Pまたは107Pの「刺激としてのコンピューター」とは具体的にどういったことを指すのでしょうか?
3.109Pの慶応で高い評価を得たというRPGの要素を持った教材とはどういったものなのでしょうか?RPGというとやはりドラゴンクエストやファイナルファンタジーのようなことを指しているのですか?
(CALL論文を読んで)
CALLは将来的には、4技能すべての学習を可能にするだろう、ということでした。そうなると、補助的にとは言っても、コンピューターの役割はますます大きくなるでしょう。そのような状況で、教師にしかできないこと、コンピュータにはできないことは、どのようなことになっていくのでしょうか。
先生の論文を読んでの疑問点。
1:論文によれば、CALLの具体的な始まりは1960年で、その後80年代初頭にCALL史上画期的なプログラムが相次いで開発されている。現在は2001年。1960年代から41年、少なくともプログラムが開発された80年代初頭からは20年近くたっている。しかし果たして今、どのくらいの先生が実際にこのCALLを授業で実行しているのだろうか。
また実際に、CALLの授業はもとより、パソコンというものにこれまで馴染みのなかった先生たちが、パソコンの操作方法を熟知し、それをツールとして外国語を教えることはどこまで可能なのだろうか。
2:CALLの授業をするにあたって、どんな環境を整える必要があるのか。まずは、パソコンが学校に不可欠となるわけだが、生徒の割合に対して、どのくらいのパソコンが必要なのか。もちろん一人一台が理想なのであろうが、設備費用の関係上、そこまでパソコンがそろえられない所も出てくるかもしれない。だとしたら、最低どのくらいは必要なのだろうか。
また学校の授業の週何時間という中だけで、生徒がパソコンに慣れるのには限界が出てくるであろう。だとしたら、家にもパソコンが必要なのか。またパソコンを置いてある教室では先生と生徒の距離が離れたり、黒板を使っての授業が難しくなってくる。だとしたらそれはどうなって補えばいいのか。
3:テープによる音声の授業は、どの程度効果があるのだろうか。私の経験では、中学・高校の授業でテープを使ったのは、教科書の例文をテープで聞いたり、ディクテーションをする時などであるが、テープを実際に聞いている時間は、微々たるものである。その中でどうやって発音の練習ができるのか、私には疑問である。
大学では音声学などがあり、その時間はみっちりと発音の練習のみに重点を置いてやるが、中学・高校でこのような授業を取り入れることはできないのであろうか。
4:実際に今現在、このCALLの授業を取り入れて行っている学校は日本にどのくらいあるのだろうか。
またそれはどこまで本格的に取り組んでいるのだろうか。