東京外国語大学欧米第一課程ドイツ語専攻
「コンピューターとドイツ語学習研究」(ヨーロッパ言語研究Ⅰ演習)
担当: 境 一三


コミュニカティブ・アプローチ可能性と困難性


コミュニカティブ・アプローチについて皆さんに考えてもらった結果をここに掲示します。自分の責任で参考にしてください。


  コミュニカティブ・アプローチでは、ALMと異なり、実際の場面に即したコミュニケーション力を伸ばすことに重点を置いている。私がもし教師という立場であったら、やはり、実際の日常の場面を設定したロールプレイ型の練習を多く用いると思う。その際気をつけるべきだと思うのは、生徒一人一人に、発話できる機会を平等に与えることである。積極的に発言し、進んで役を買って出るものもいれば、内気なタイプの生徒もいる。その点に気を配らなければ、多人数に教える授業としては成立していかなくなると思う。さらに、全く理論に裏打ちされなければ、生徒の理解度は低いだろうから、必要に応じて文法の説明等も付け加えたい。

また、グループに分けるなどし、あまり教師が関わらない形で、学習言語のみで自由に発話させる時間を設け、気楽にコミュニケーションさせるように心掛けたい。それによって、「言語を生み出す能力」が鍛えられていくと思う。

しかし、集中的に授業が行われる場合は別として、週に一度や二度の授業だけでは、学習した内容はなかなかしっかりと身につかないと思われる。ロールプレイにより、決り文句などはしっかり記憶されるだろうが、自由に発話された文は、授業の後全く思い出されることがなければ、忘れられてしまう。だから、課題や小テストなどをしっかり行い、学習したことを定着させる気配りが必要だと思う。


配付されたプリントをよんで疑問に思ったのですか、オーディオ・リンガル・メソドとFN教授法は、日本の英語教育では併用されているのでしょうか。翻訳をみとめているのは後者ですが、型を教えこむのは前者の特徴であり、この両者が混在している教育を僕自身受けてきたとかんじます。


Kommunikativer Ansatzに対する疑問

自分が教師だったらこれは難しいと思うこと

・言葉以外の要素(会話に付随するジェスチャー・動作など)を具体的にどのように教えるのか。またどのように生徒に練習させるのか。

・場面を定めるとRoll Play などはできるが実際の場を再現することまでは難しい。

・ALMのようにPattern Practiceの時は大人数の生徒の指導が比較的楽だが、コミュニケーション中心のKAでは生徒の発話もより多様であると思われるので教室における大人数の指導は難しいのではないか。

・私自身文法項目を順に追う形で学習してきたのでKAではすべての文法項目をカバーできていないような不安感がある。しかしそもそも文法を順序の定まった一つの完全な体系と見る見方自体がKAには当てはまらないと感じた。


現状の学校教育でNotional Functional Syllabusを授業で取り入れるとしたら起こりうる問題点など。

1. 「概念」まずありきなので、一つの概念に即した表現であれば、その場で全て教えることになり、例え文法的に高度な事項であっても、対象が初学者であっても教えることになるのですよね?であれば、定着をはかるには、教師側、学習者側、双方の負担も大きくなるのでは。

2.「こういう表現を外国語で言いたい」という学習者の欲求に教師側は応えなければならないので、教師自身の語学能力は当然要求される。

また、その場合、学習者が多いと、「○○はどう言えばよいの?」という質問が多くなり、収集がつかなくなる。

また、教師が、今までその教師自身が教師としての専門教育を受けていなかった場合、おそらく、F-N Syllabusやコミュニカティヴアプローチを避けて通り、自分が受けてきたのであろう、文法訳読法や、良くてもALM的な授業に終始するのでは。

ただし、現在の日本を考えると、「(大学)入試」のために外国語を勉強する(学ぶではなく)ことが、もっとも大きな「目的(外国語は個人的には「手段」であるとは思うのですが)」になっているので、入試で結果を残すことに最大の荷重がかけられていることに問題があるのではないかとも思いますが。

3.「Methode」ではなく、「Syllabus」であるので、それぞれの概念項目を教える際に、具体的な教授方法を場面場面に沿って考えなければならない。実際に教える状況では、他のいろいろなMethodeを用いることになると思われますが、逆を返せば、「ある特定のMethodeだけで全て事足りる、ということはない」という端的な現れなのかもしれませんが。


(疑問に思ったこと)

コミュニカティヴ・アプローチでは、体系立って文法を教える事は、まったくないのでしょうか?学習者がある程度上級になってくると、文法構造や、文の形態などの勉強も役立つと思うのですが。

(自分が教師だったら・・・)

FN教授法は、かなりフレキシブルで教師に授業がまかせられる面があると思います。もし、自分が教師だったら、どこまでフレキシブルにしてもよいか、(進度に支障が出ないか)判断するのが難しそうだと思いました。その点で、教師によって効果に大きな違いが出てくる、という危険性をはらんでいる気がします。


コミュニカティブアプローチの問題点

・ どう教えるかよりも言語のどの側面を教えるかに重点がおかれるため、教授法のマニュアルは存在しなくて自分の能力や技量が生徒に大きな影響を及ぼす。

・ 会話のなかで生徒は外国語を学んでいくが、誤りの訂正は重視しないため間違ったこともそのまま覚えてしまう危険性もある。

・ 教師の聞いて話す能力はかなり高レベルを必要とする。

・ 生徒をやる気にさせなければ何も始まらない。受身ではなく能動的に勉強させなければならない。

質問

先週の授業で、概念シラバスとコミュニカティブアプローチの関係が良く分かりませんでした。もういちど説明していただきたいです。同じのように見えるけど違うものなのですか?


コミュニカティブアプローチを自分が教師として教える時困ることは、まず日本人の生徒の扱い方だと思います。

それはどういうことかと言うと、日本人の生徒は、授業中に自ら発言することが外国の生徒に比べて、圧倒的に少なく、それは年を増すごとにその傾向があると言えます。

私は去年ドイツに一年間留学していて痛烈に思ったのが、外国の子たちはどんなに文法ができていなくても、単語をつなげてみたり、ジェスチャーを使ったりして、一生懸命自分の言いたいことを相手に伝えようとします。外国語を「話す」という観点で見たとき、このことは一番大事なことであり、また何よりも一番の習得への近道だと思います。

そして残念なことに、日本人にはこの体当たりの行動が多分に欠けています。どうしても周囲の目を気にして、間違ったら恥ずかしいという気持ちが先行してしまい、なかなか言葉を口から発することができません。 

また生徒によっては、日本語でさえ口数が少ないという人もいます。それが外国語になったらどうでしょう。もっと話さなくなってしまう可能性もでてきます。このようにもし私が教師であったら、まず生徒の重い口を開かせるのに苦労するだろうと思います。

また他の点をあげるとすれば、教師である自分にとってもやはり外国語は母国語にはなり得ません。そこでどうやってそのギャップを感じさせずに教えることができるのでしょうか。もちろん何のギャップ感じさせずに外国語を母国語のように教えることは無理かもしれませんが、それがどこまで不自然にならずに教えられるのでしょうか。


Landeskundeが必要ということですが、Communicative Approachで教えるには、短期でも現地での留学が必要なのですか。あるいは、現地以外でもnativeの指導を受ければいいんですか。


自分が教師である場合、コミュニカティブ・アプローチを基にした授業を行うのに当って、困ると思われること

・会話をするのに、日本の一クラスの人数では多すぎて、全ての生徒に自分が満足するくらいの外国語の新情報を与えられないと思う。少人数のほうがよりたくさんの話をできるし、教師も一人一人の生徒により新しい外国語の情報を与えられるから、一クラスを複数の教師が受け持つか、または一クラスを少人数にするといった方法を取りたくなると思う。

 (私が中・高時代一クラスは30から40人くらいだったので、人数はそれを基準に考えています。)

・受験対策に困ると思う。例えば中学校で教えている場合、高校受験のときコミュニケーション能力をはかる試験はない(愛知県)ので、結局改めて文法などを教えなければならなくなると思う。   

・生徒間同士でどうしても日本語の会話が交わされてしまうと思う。わからない単語があったときや、先生の言ったことが理解できなかったとき、近くの友達に聞いたほうが気兼ねせずすぐ理解できるから。


 まず初めに、コミュニカティブアプローチとは、60年代後期のドイツにおける、教育改革であったといえる。60年代半ば、ドイツで全ての学生に対して英語の教育が義務付けられた。それによって、今まででは考えられなかったrealshuleでの英語コースなどが催されるようになったり、volkshochshuleでの夜間の英語教育などが設けられたりした。これにより元来の目的が変化を遂げた。スペシャリストを養成するため英語教育と変わってきたと自分は考える。例えば、旅行者のための英語教育、ビジネスマンのための英語教育などがその良い例であるといってよいだろう。このようなスペシャリストのための英語教育を促すのがコミュニカティブアプローチであると自分は解釈した。

 自分自身が教師であった場合、一番困難であると思われるのは、専門知識を要する事であると思います。旅行者のための英語、ビジネスマンのための英語がターゲットになってきたということは、これはつまりスペシャリストを育て上げる教育法だと考えるのは上記に述べた通りです。そのために教師である自分としては、その分野に関する英語のボキャビュラリーも豊富でなければならないと考えます。その個々の分野の特性を自分なりに研究し、その分野についてまず自分がスペシャリストになることを要求されるので非常に大変だと思います。


人とコミュニケーションをとる場合,その伝達表現,定型表現は何パターンもあるが,状況に応じて使用可能な表現,使ってはならない表現がある。そのように文法的には正しいが,状況によっては用いるべきではない表現を教授するためには,まず教授者が表現を用いるときの背後にある状況を的確に把握していなければならない。そうした意味で,外国語でコミュニケーションをとる場合,教授者が外国の習慣を事前にしっかり捉え,どの状況でどの表現が使用可能かを学ぶことが必要となってくる。

そうして初めて,教授される側の人間に表現と状況を教えることが可能となるが,ここで問題になってくるのは,教授される側の人間が異文化の慣習,それに基づいた状況を踏まえているかどうかである。仮にそうした状況を踏まえていないのであれば,教授者は表現と同時にそうした慣習,状況も教えることになり,時間がかかってしまう。つまり,communicative approachを教える場合,背後にある状況も教えなければならないので,教授者にはそうした知識,経験が必要であり,教授する場合には多くの時間が必要となる。